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英語偏差値30からカナダ東海岸St.Thomas Universityに留学。卒業後2009年4月、某財閥系総合商社へ入社。
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うーん、長い思考停止期間を終え(意図的にそうしていたのかも)、やっと日記が書ける程に頭が回ってきました。 

 

色々な所で様々な変化の波がどっと押し寄せて来て、その全てに対処できる程のバランス感覚を持ち合わせていなかった自分。最近痛感しているのだけど、自分はつくづく向こう見ずな性格で、基本的に見つめている目標に真っ直ぐにしか進めない。脇目も振らないし、それによって沢山の大切な事を見落としていた。 

 

心に余裕が無かった、と言えばそうなのだけど、やっぱりバランスの取れない自分が悪い。色々な物事に対するスタンスを思い返してずっと考えていた。そしてやっと少しだけ考えが纏まってきた。 

 

本当に色んな人に助けられている。みんな本当にありがとう。自分ももっと人を助けられるようにならなきゃね。 






 

 

さて、総選挙。僕もぎりぎり5分前に言ってきました。驚くべきというか当然というか、「結果」が出た。ただ、それについて今どうこう分析しても仕方がない。経済危機とメディア主導選挙が重なる時何が起こるのかを予測するのは難しい事ではなかったし、大切なのは何故この結果になったのか、ではないと思う。大切なのはこの結果がどんな変化をもたらし、どんな未来を創っていくのか。そしてそれは僕達皆が身をもって体験していく事だし、この事についてはいずれ書いていけば良いと思う。 

 

ただ今回友人と選挙について話す事が多かったので、自分が今回の選挙で特に意識している一つの事について少しだけ考えてみた。 

 


          
 

 

僕が今回の選挙でずっと注意を払って来たのは、世界(海外)のメディアや雑誌の反応。 

 

60年体制の崩壊」なんて言われ方をしても、日本の政治システムそのものに絶望している日本人からしてみたら正直ピンと来ない。政権交代があっても、実際には何も変わらないかもしれないし、どうせ政治家なんて皆似たようなもの、という諦めの感覚を持つ日本人は多いと思う。 

 

マニフェストだって実際に実現されたためしが無いし、少子高齢化、格差問題、自殺率、経済危機・・・山積みの問題が一挙に解決に向かうとは想像し難い。そこで国民の意思が選挙結果にどのように表れようが、明確な変化に繋がるとは思えない。 

 

一方で、海外の今回の選挙への関心は、決して低くないという印象を受けた。日本で政権交代が全く起こっていなかったのは異常な現象だと海外では認識されているし、そこに変化の兆しが見えると、政変の可能性は大きく報じられていた。 

 

このグローバル社会において経済的・政治的に外国の介入が増す一方の日本。その国で歴史的政変の可能性がある選挙が海外でどのようなイメージと共に報道されているのかは、選挙後の日本が国際社会でどう受け止められるのかを考えるのに重要な要素だと考えていた。 

 

 

だから、自分は、政党の国内政策や国民からのイメージよりもむしろ海外からの今回の選挙のイメージに注目していた。 

 

海外メディアからしても日本の政変自体はもちろん注目に値する事で、新聞等のメディアはそれを全面に押し出して報道しているのは当然なのだけど、これらが日本の選挙のイメージを示しているとは言い難い。そこで自分が更に気になっていたのは、Economist等の経済誌や学術誌。これらはその国の抱える問題を冷静に分析して、各政党の政策がそれを解決出来るのかに焦点を当てていた。特に世界中のビジネスマンや政治家が読んでいるEconomistの意見は無視できるものではなくて、海外が日本に持っている問題意識について考えるのにとても参考になる。 

 

海外メディアや雑誌の反応をざっと見てみて思ったのが、日本の政治家と世界のロジックのズレ。他国から見たら日本の抱える問題の解決策は余りにも明らかなのに、何故か日本の政治家だけがそれを認識してない。 

 

例えば、民主党の強調する子供手当は海外ではそもそも少子化対策として認識されていないし(数年前に少子化と無縁のカナダ保守党が同政策を取った時、子供手当は全く別の認識をされていた)、そもそも持続可能性の無い政策であれば、少子化等の長期的問題の解決にはならない。根本的な解決には日本の非効率な経済活動を効率化し自分と家族のための時間を作ってあげること。そのためには規制緩和や外資の導入が必要不可欠だし、これらの変化を歪み無く日本社会に組み込むためには、長い時間が必要だろう。 

 

日本の抱える問題は、マニフェストや表面的な政策で解決出来るものではなく、国民自体の意識改革も含めたシステムそのものの変化が必要なのだという事は世界の皆が認識している。 

 

そして、日本の抱える問題の多くが根本的かつ長期的なアプローチが必要だという事と、長期政権が成立しづらい日本の現状を踏まえると、日本の問題を解決する方法には一種のショックセラピーしかないのではないか。今回の政変がそのショックの兆しとなるのではないかというわずかな期待と、やはり日本は変わらないという半ば諦めの空気を海外メディアや雑誌を通して感じた。 

 

 

また、今回自分が強く感じたのは、海外の日本に対する理解や問題提議が、自分が大学にいた頃と比べて格段に鋭くなっていること。今回の経済危機の中の日本や選挙など、海外のメディアは日本のメディアと比べてずっと的確な分析をしていたと思う。世界の日本に対する理解が格段に深まっているのと同時に、経済大国日本独自のロジックが、いよいよ世界で全く通用しなくなってきたことを痛い程示しているような気がした。 

 

 

そんな事を考えながら、海外メディア等の報道や記事を通して自分は今回の選挙を見ていた。注目の根底には、変化出来ない日本をドライに見つめる海外の視点と、逃げ場を失い追いつめられた日本の姿が見え隠れする。 

 

とにかく今は、スタンフォードPhDを持つ新しい日本のリーダーが、世界からのわずかな期待にどのように応え、日本の変化を示す事が出来るのか、マニフェストや論文の良し悪しは別として、見守ってみたい。

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友人達とハゲタカを見に行ったらその夜寝言で、「レバレッジがぁ〜」と喋っていたらしいImayuです。夢で見た事はいつもハッキリと覚えている。夢の中でも色んな事に疑問を持っていて、何かを変えようと試行錯誤していた。 

僕は昔から、現実の思考が如実に夢に現れる傾向があるなぁ。 


               

おやすみプンプン 1      おやすみプンプン2
浅野 いにお




一人の親友が大きな決断をした。そんな彼が最近口にしていた日本の『閉塞感』。閉塞感、そんな言葉を聞いて僕の頭の中に1人の漫画家が浮かぶ。 

浅野いにおさん。 

青春を生きる少年やノーマルで辛辣な現実を生きる大人の視点を通して、現代日本人が感じている閉塞感を生き生きと、生々しく描き出す(imayuの勝手な意見です。適当な説明が見当たらなかったので)。代表作は、『ソラニン』、『ひかりのまち』、『おやすみプンプン』、『素晴らしい世界』など。 


                   


個人的に、僕は浅野いにおさんの漫画が大好きだ。僕がフェルメールやハンマースホイの様に、「光」や「ぬくもり」の様な目に見えないモノを描ける芸術家に強く惹かれるのと似ていて、浅野いにおさんの漫画に漂う無力感、無情感、絶望、そしてふと見え隠れする希望の様な、ふと頬を撫でる様な光に惹かれるのだろう。 

見えない物を描く事は凄く勇気がいる。自分に見えている物は他人には見えないかもしれない。逆に、他人に見えている物がもしかしたら自分には見えていないかもしれない。ましてやそれを描く事で、漫画の様な不特定多数の大衆からの評価の対象になるなんて考えられない。。 

しかも、彼が描くのは世の中にありふれた、当たり前の日常。しかしどこか当たり前じゃない独特の世界。そんな不安定な世界を舞台に、見えない物を描く。こんな大変な事は無いと思う。しかし彼には、それに対峙する勇気と、描く為の感性と、画く為の抜群の技術力がある。 

矛盾するようだけど、僕は彼の作品を大好きでありつつも、彼の作品に共感する事は殆ど無い。おそらく、浅野さんの描く絶望や閉塞感に共感してしまうのが怖いのだろう。彼の描くこの見えない感覚は間違いなくこの日本に存在するのだけど、彼の漫画の中の登場人物は、誰1人として、それを打破しようと主体的行動を起こさない。現実を受け止め、その中に見つかるかもしれない一抹の光を抱きしめる。これは僕の価値観とは違う。 

最近出た『おやすみプンプン』の新刊の反響ぶりやソラニンが映画化される事を見ても、彼の人気が増々高まっている事が解る。自分の好きな作品の人気が高まるのは嬉しい事なのだけど、それが共感によってもたらされものなら、それを素直に喜ぶ事が出来ない自分がいる。いにおさんの人気が出れば出る程、日本の薄暗さを具現化してしまう様な気がして、怖さを感じてしまう。上映されればもちろん見に行くつもりだけれど、それを見て自分はどう感じるのだろう。分からない。 



こんな些細な事でさえいつまでも頭の中に残ってしまうのは、今の自分が強い心の葛藤を感じているから。この葛藤の先に何が待っているのか自分にも正直まだ分からない。しかし、この葛藤を生んでいる現実を対処するだけの能力を自分はまだ身に付けられていないという事だけは分かっている。ただ、そんな中でも、現実と対峙する勇気は失わず、自分の進むべき道を常に見据えて行動して行きたい、と強く思う。 


               


※ 先日、ふと親友と渋谷のカフェに立寄り話をした。就活の為日本に帰国した時、「いつもこいつには先を越されるなぁ」、と痛感させられてから、自分も就活を終え、大学を信念を曲げずに納得の行く形で卒業し、1年間のモラトリアムの間、沢山の人に出会い、色んな事を見、感じて来た。絶対に負けない自分の軸を見つけた様な気がしていたし、もう立ち止まる事なんて無いと思っていた。 

そして先日のカフェ。自分の話を沢山してしまったが、同時に彼の事も良くわかった。自分がモラトリアムでフラフラしている間、彼は誰よりも強い葛藤を感じ、それでも誰よりも強い信念を持ち生きて来たのだと改めて知った。そしてまた大きく前へ踏み出そうとしている。そして今度は段違いのステップだ。いつもこいつには先を越されるなぁ。また、だ。 

でも彼と話をして、少し俯きがちだった最近の視点が、スッと真っ直ぐに引っぱり戻された。 

さあ、これからも頑張ろう。

Imayu

先日の勉強会に参加して下さった皆様、ありがとうございました。リスクを取った甲斐あって最高の青空に恵まれました。様々な業界の人間が代々木公園の片隅で新聞を敷いて輪になり、新聞と睨めっこするという異様な状況でしたが(後ろの集団さんが話しかけようとモゾモゾしていたらしいw)、内容の濃い充実した時間だったと思います。 

時間がオーバーしてしまったのと、グループワークのテーマを明確化しなかったのは反省点として今後改善して行きます。もっと濃くて熱い、未来を視野に入れた勉強会にして行きたいですね。次のテーマも少しづつ詰めてもらっている所です。 




''Socioeconomic development has a powerful impact on what people want and do, as Karl Marx argued, but a society's cultural heritage continues to shape its prevailing beliefs and motivations, as Max Weber argued. Moreover, sociocultural change is not linear. Industrialization brings rationalization, secularization, and bureaucratization, but the rise of the knowledge society brings another set of changes that move in a new direction, placing increasing emphasis on individual autonomy, self-expression, and free choice. Emerging self-expression values transform modernization into a process of human development, giving rise to a new type of humanistic society that is increasingly people-centered.''(Inglehart and Welzel. Modernization, Cultural Change, and Democracy -The Human Development Sequence-) 

「カール・マルクスの言った様に、社会経済の発展は人々の欲求と願望に強いインパクトを持つが、ヴェーバーの言う様に、社会の文化的遺産はそこにある信仰や姿勢を形作り続ける。その上、社会・文化的変化は直線的ではない。工業化は合理化・非宗教化・官僚化をもたらすが、知識社会の台頭は個人自治、自己表現、そして選択の自由に増々の重点を置くという新しい方向へ変化をもたらす。高まる自己表現の価値は、人々を中心に据えた新しいタイプの人間的社会を形成し、近代化を人類発展の過程の中に変換する。」(翻訳難しい!!!) 



  
(日本語版が無いのが残念・・・)



イングレハート&ウェルゼル共著のこの本、大学4年で90分の大型プレゼンをした時の題材だったのだけど、これを読んだ時ゾクゾクと身震いしたのを覚えている。「知識社会の台頭は個人自治、自己表現、そして選択の自由に増々の重点を置くという新しい方向へ変化をもたらす。」マルクスとヴェーバーについて言及した上で、自分のセオリーは彼らと対等、更にはその先を予見すると言わんばかりの勢いで持論を展開する。 

彼らの論理は、『経済的発展・工業化(「コントロール出来るカロリーの増加」と提議)は自然からの脅威や操作不能な事態から人々を遠ざけ、人々を非宗教化させる。そして工業化後、安定した生活を手に入れた人々は様々な組織など(地域コミュニティ・クラブなど)を結成し、自身で自己を満足させる方法を知る。そして自己を表現する意識が高まり、それは民主主義という形に収束する』というもの。もっと端的に言えば、『経済発展は民主化を促す』ということ。人々が外部環境の変化に影響されるものとし、その変化が人々の心理・行動にどの様な変化をもたらすのかを論理的に説明した。 

だがこの二人は理論を建てるだけで終わらない。彼らはWorld Value Surveyという人々の価値観を計測する調査機関を利用し80ヶ国以上の価値観調査(現地人へのアンケート)を行い、経済発展度と非宗教度、自己表現欲求度が比例関係にある事を統計的に証明した(
http://www.worldvaluessurvey.org/)。確かに、「非宗教化」「自己表現欲求度」などの言葉は国や文化、個人によって捉えられ方も違うし、客観的に計測するのは非常に難しい(もしくは不可能だろう)。それでも、WVSに載っている様にこうも如実に経済発展との比例関係が現れると、一つの傾向、としては受入れざるを得ない様にも考えられる。 



                 




以前僕は、政治科学はその「科学」的要素に重点を置く傾向にあり、古代ギリシャから引継ぐ政治科学本来の目的「より良い政治システム、良い社会を作る」を見失っている、と書いた。イングレハート&ウェルゼルの統計的分析はその流れを象徴するものではある。しかしそこで彼らは、「社会の流れや外部環境と人間心理の関係などの大きな流れ」という様な哲学的になりがちなテーマにハードな科学的分析をぶち込んだ。これってもの凄い事だと思う。 

もちろん問題点は山ほどあるし、社会科学に活用される統計は方法論から結果までありとあらゆる批判に晒される。しかし結果はどうであれ、批判を覚悟でこの壮大なテーマに壮大は統計学を当てはめ、ここまで説得力を高めた理論を提唱した彼らには脱帽する。政治科学の科学的流れに根本的な政治科学の目標をすり合わせ、政治科学会に持ち込んだ彼らの影響は非常に大きい。 



最近自分にはこの様な能力が必須だと考えている。論理的に考える、問題・課題を見つけ出すことはある程度出来ているつもり。それでも、その説得性を極限まで高め、本当に相手に認識してもらえる所まで高める事が全く出来ていない。そしてここに必要なのは法律・会計・統計などのハードな部分だと自覚している。自分にはこれらの分野の知識が圧倒的に足りない為、問題点を指摘しても説得力が十分で無く、「学生が本を読んで考えられる様なもの」、と思われてしまうのだと思う。ここなんだ。 


勉強会では経済関係の指数に関する話が多く、自分の中で数字の役割を強く意識するきっかけになった。自分に足りていない部分はこの部分なのかもしれない。本腰を入れて勉強する必要があると痛感した。揺るがない問題提議力。絶対身に付けてやる。


Imayu
本屋を3軒もハシゴしたのに、 
村上春樹の新作がどこにも売られていなくて凹んでいるImayuです。 

マンガ以外本の発売日なんて特に意識した事は無かったのだけど、丁度最近ノルウェイの森を読み直していたのと、大好きな浅野いにおさんの新刊とワンピースの新作が出るタイミングが重なったのとで、今回は少し意識していた。 

村上春樹は実は去年位まで読んだ事が無くて、好きになりだしたのは彼のイスラエルでのスピーチを聞いてから。(http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html) 

徹底した細部のストーリー描写の一方で、大きな視点での自らの小説家の役割も強く意識している。そんなミクロとマクロを自ら結びつけられる人には強い魅力を感じる。 


                  
 


              


仕事に関して、僕もようやく本格的に実務に取り掛かり始めた。内容は詳しく言えないのだけれど、1日に2つの職場を行き来している。一つは配属された本部であり、もう一つは細かな処理を行う場所。 

自分の主な職場は後者になる。金曜日に先輩からの引継ぎも無事終わり、これからは担当チームを一人で受け持つ事になる。一通り引継ぎ業務を履行してみて思ったことが、マクロな目的観が細部の作業にまでかなり細かく落とし込まれている、ということ。経営方針、リスク管理、迅速な業務連携・情報交換など、提唱することは簡単でも実際の作業に落とし込むのは難しい。今自分が行っているミクロな作業は、そういうマクロな目的を達成するために段階・ステップ毎に緻密に構成されている。この落し込みの徹底さには正直驚かされている。 

違った視点で見ると、マニュアル化され過ぎていて、ある種思考停止状態でも履行出来る程に高められているので、意識していなければ結局目の前の仕事をプロセスするだけの機械になってしまう危険性はある。これは実は非常に効率的で大きな強みとも取れる。一方で、この作業はどんな事実、目的に基づいているのか、またこの作業を通して自分がどんな能力を身に付けられるのか、という視点を忘れてしまうかもしれない。 

ただし、自分は性格からしてそういう心配は無いと思っているし、今まで認識出来なかったマクロをミクロに落し込むという作業の現場をこれだけ感じられるのはとても良い機会だとも思っている。 

しかも、マクロな作業を担当する本部とミクロな作業を遂行する職場を毎日行き来出来ることは、この繋がりを意識するのにとても良い環境にいると思う。ミクロ業務中に感じた問題意識・疑問をマクロ作業担当の本部に持ち帰り議論し、ソリューションを考える。マクロ作業担当の本部でそこまで主体的な権限は無いので、議論してソリューションを考えるのは専ら自分の脳みその中と同期や友人との会話でですが。 

個人的にこれから探求して行きたいのは、この「システム構築の際のプロセス」と「障壁」と「乗り越えるために行われた作業」かな。ここに本質的な強さがあると思う。 



そんな感じで、現在の業務に対する自分のスタンスは少し明確になってきた気がします。やはり僕は、組織の本質的な強みを知ること、そしてその構築自体に強い関心がある。 

それは、新興国という全く違う文化を相手に運営できる組織、又そこで存在しうる組織の在り方を追求したいのと重なる。モノ作りの基盤が途上国に本質的にシフトし、しかも消費先である先進国のニーズが多様化する今、Frederick TaylorのScientific Managementや日本式生産システムを踏襲するだけでは不十分だと思う。ある程度の普遍的メリットがあり、かつ地域や発展段階に適応できるような組織作りが必要だろう。 

NGOやフェアトレード企業、ソーシャルベンチャーのセミナーや講演でも僕はいつも「現地での組織の構築と維持の際の難しさ」を質問してしまうし(「子供達の笑顔」や「現地での食事」などの質問が飛び交いがちな講演では、見事なKYですw)、そこが途上国での企業や他組織の活動における一番のコアになる部分だと考えている。 

こんな感じで、やはり悩みは尽きませんがww、今は、この環境を最大限に活かして、得られる物は出来るだけ得て、自分なりのMACROとMICROを繋げるアイデアを発展させて行きたいと思う。 


木だけを見ていても森は見えないけれど、世界地図を見ていてもそこに住む人々を見ることは出来ないよね。 


Imayu



                   



髪を切りに行ったら、美容師さんに「チェリーですよね?」と言われたImayuです。 


・・・それもいきなり。 


・・・ 


美容院に行くのは自分にとって結構大事なリラクシングタイムなのだけど、今回は随分変わった人に当たってしまい、メチャメチャ疲れた。次行って同じ人に当たったらもう行かん。 

「チェリーはチェリーでも僕は付いたら落ちないアメリカンチェリーですよ」、ってもう俺も訳わかんない。言った直後に疲れがドッと来てそのまま顔剃られて揉まれて起こされるまで気を失ってしまった。 




と、そんなこんなで、新しい職場で僕はチェリーもいいところ。相変わらずのKYっぷりを初日から見事に発揮して、自分はやはり留学生だったんだなぁ、と痛感させられている。あと、僕はやっぱりシステム思考で、組織の在り方や経営の仕方そのものに興味があるのだなぁ、と強く感じる。その点からすると、取り扱い商品が絞られ、ビジネスの進め方もそれに絞られる営業よりも、「ある程度」組織を俯瞰しあれこれ思考できるこの計数系の部署は自分に合っているかも、と思います。営業ほど特殊な知識も必要無いしね。税法や会社法とそれに照らし合わせた社内規程など、普遍的な知識の方が求められることが多い。 

ただやはり、強力な組織に属するという事は、それに倣って自分の思考を停止させなければならない、という状況もある。 

「最初は会社の文化に慣れるのが大切」「最初の数年は我慢しろ」「最初は仕事が面白くないのは当たり前」というのは、どの業界でも、どの会社でもよく聞く言葉だろう。確かに、今まで何の責任も負ってこずにフラフラやってきた学生時代とは、負う責任は大きく異なるし、従ってその責任を全うできる生活習慣を身に付ける事が大切だ。 

でも、今まで自分達が暮らして来た外の文化から突然会社に入った時の戸惑いは、間違いなく今の自分達の真実だろう。今この社会と今までの自分の世界の乖離に疑問を感じていても、数年経って会社に慣れて、仕事がそこそこ出来るようになってきて、ああ、俺は間違ってたなぁ、子供だったなぁ、と思う自分が3年目くらいでいたと想像すると、それは本質的な意味での「成長」なのか?と疑問に思ってしまう。 

実際に子供の頃の夢や希望、躍動を忘れずに楽しく働いている人は沢山いるし、そういう人をカナダでも沢山見て来た。「我慢」って何だろうか。その「我慢」が明確な目標を達成する為の過程で必要不可欠なものであれば、感じ方はまた変わってくるのではないだろうか。少なくとも、今の僕には後者の方がずっと幸せに見える。 



思考停止を防ぐためには、振り子の様に目一杯思考を振り続けるチェリーでありたい。政治と人権のジレンマで常に思考を振り続けて来たからこその現在の自分の思考、自分らしいエッジを持ち続けるためにも、既存の組織、自分の属する環境に常に問題提議をして行く事が必要であるのではないかと思う。そういう意味では、俺はやはりチェリーであり続けたい。もちろんその危険性も自覚しつつ。 



考える事は多いのですが、この辺にしときます。チェリーはチェリーでも、濃くて絶対に落ちないアメリカンチェリー、いや、カナディアンチェリーで有り続けます。

Imayu


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Imayu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1985/05/13
趣味:
ドラム・筋トレ・読書・旅行・絵描き・マグカップ収集 etc...
自己紹介:
英語偏差値30の高校時代を経て、カナダ東海岸、St.Thomas Universityに留学。政治科学と人権学を専攻。専門はアフリカ人権問題とドイツ政党政治。2009年4月付けで、某財閥系総合商社へ入社。

先進国に生を受けたからには世界を相手に何か出来る事が、すべき事があるんじゃないか。「『日本人として』、世界という舞台で闘い、途上国の人々の未来を創る」という夢に向かって邁進中。ビジネスを通した途上国貢献の道を模索中。

''Watch your thoughts; they become words.
Watch your words: they become actions.
Watch your actions: they become habits.
Watch your habits; they become character.

Watch your character; for it becomes your destiny.''

※メール→imayu_canada[at]yahoo.co.jp(ブログ用)
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