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英語偏差値30からカナダ東海岸St.Thomas Universityに留学。卒業後2009年4月、某財閥系総合商社へ入社。
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                丑年●



みなさん、明けましておめでとうございます。
こんな自分勝手で向こう見ずなImayuを これからもよろしく。

さて、年末年始ドタバタしていて
すっかり2008年を振り返ることを忘れていました。
ちょっとだけ、俺の2008年、振り返ってみたいと思います。
そして2009年の抱負編に繋げようと思います。



2008年5月、遂に無事St.Thomas UniversityをDistinctionで卒業。1年生のアタマで、教授から間接的に辞退を勧められた政治科学と、途中から自分の価値観を解放するために取った人権学の2つを専攻しての卒業。最後の最後まであるカナダ人の先生には名前を正しく発音して貰えなかったけど(入学式の時もだよ!!!)、証書を貰った時は感無量だった。

学年が進むにつれ、大学の教育が自分の中に活きているのを実感すると共に、一方で価値観を狭め自分の考えを主張する能力のみを付けさせるLiberal Arts教育の弊害に気付き、また大学が最も直視すべき致命的問題から目を背けて集金主義に走る現実も見えてきた。

一度確信を持ったら黙っていられない性格なので、減点覚悟で、政治科学、人権学、2つのSeminarコース最後の論文でこの諸問題点を教授達に叩き付けた。結果はAかA+(返却されないのでハッキリはわかりません)。これによって問題が解決に向かうとは思わないが、4年間の大学生活の集大成として、自分の考えが教授に認められたのは嬉しかった。



卒業式まで、文化的に愛してやまない東ヨーロッパを旅した。チェコ→ポーランド→ハンガリー→スロバキア→オーストリア。世界を2つに割った2つのイデオロギーの狭間を経験した国々には、俺達が理解し難い程深い歪みを感じた。



日本へ最終帰国。その1週間後に、第一次産業の現場が見たい、その思いで北海道野付郡別海町へ3ヵ月、酪農研修へ。息さえロクに出来ない臭気の中、朝4~5時から夜10時まで毎日働いた。丁度この間、原油・食糧価格の高騰が日本を直撃。俺の働いていた農家も苦渋を強いられた。

リスクヘッジのために行われるパソコンの前でのワンクリックが、朝から晩まで汗を流して働く農家の現場を一変させてしまう現実を見た。大企業やメーカーが、利益追求の為に農家に苦境を強いる現実を見た。そして逆に、自ら主体的に業務変革をすることもなく、ただただ自分達の状況を嘆く農家の現実も見た。

本当に必要なのは、「農家なんてただの肉体労働でしょ。補助金ガッポリ貰って」という先入観を持つサービス産業の人間と、「サラリーマンなんて楽して金稼ぎするエリートさん」という先入観を持つ一次産業の人間が根本的に歩み寄り、対等な立場でお互いのExpertiseを提供し合って新たなビジネスモデルを創っていくことだと確信した。

そしてこれは先進国、途上国の関係にも言えること。先進国の途上国に対する差別意識を無くし、途上国の先進国に対する依存意識を無くし、対等な立場に立ってビジネスモデルを創っていく。そういうことを実現しようとしているVCにより一層の興味を抱く。



牧場のボスの精神攻撃に精神崩壊しようとしていた直前、3ヵ月の任期終了。釧路、札幌に立ち寄り、様々な人と出会う。その出会いがきっかけで、当初企画していた東南アジアバックパック旅行を急遽変更し、バングラデシュへと行き先を変える。

初めての途上国、多くの人と出会い、多くの危機を経験し、沢山の事を学ぶことが出来た。目を背けたくなるようなバングラの現実、絶対におかしい「人を騙す文化」、そして現地でそんな現状を変えようと奔走している沢山の日本人。初めて、人と話をしていて感動して涙が出そうになる。



半そで半ズボンで寒い日本に帰国後、溜まりに溜まった勉強に終われ、それと同時に4月までの残りの生活をどうしようか計画を練る。

縁に縁が重なって、多くの人に話を聞きながら、やはり当初から興味を持っていたVCのインターンに応募。現在勉強しながら結果を待っています。



とまあイソイソと動き回った2008年でした。
大学→酪農→バングラデシュと動いて行き着いたVCの結果待ち、
ということでまだしっくり来ていませんが、
自分の価値観を広げる意味では本当に有意義だった。

環境の変化が大きすぎて、
正直今まで自分がその時何を感じて何を考えてきたのかが
曖昧になってきていましたが、こう改めて振り返ると、
その時その時心の奥底で色んな衝撃を受けてきたんだな。

この2008年の経験は、自分の心の軸になっていくと思うし、
これからもずっと胸に抱き続ける疑問や葛藤なのだろう。



そしてこの2008年は、人との出会い、繋がりの重要性を心から、心から感じた。



帰国後、圧倒するような金融知識で俺を刺激してくれる親友に再会し、

誰も知り合いのいない北海道の草原のど真ん中にいながら訪れてくれる友人がいて、

釧路では一緒にいて心から幸せになれる家族に出会い、

札幌ではバングラデシュへ自分を後押してくれた教授に出会い、

バングラでは現地で夢に向かって突き進む沢山の日本人に出会い、

日本に帰国してからも夢を語りあえる友人達に出会い、

同窓会でサイコーのパフォーマンスをしてくれた友人達と再会して、

そしてそして・・・・・


何度助けられ、何度背中を押されたことか。
これからも人との繋がりを大切にしたいし、
それに見合う人間になれるように、俺も頑張ろう。

みんな、本当にありがとう。




そんな2008年でした。

明けましておめでとう。



Imayu


明けましておめでとう。厄年Imayuにお賽銭をwww

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<Realistic Dreamシリーズ進行中>

Realistic Dream (1) I am so lucky... 

Realistic Dream (2)  Top Down & Bottom Up

Realistic Dream (3)   The Third Path

Realistic Dream (4)   Beyond Anxities



さて、長らく続いてきたRealistic Dreamシリーズも今回で最後ですね。
前回のエントリーで、僕がなぜ商社というフィールドを選んだか、
というところまでの流れは書けたのではないかな、と思います。

TOP DOWN式の国際機関の途上国援助の仕方に納得できず、
BOTTOM UP式のNGO・NPOの援助のあり方にも疑問を感じた。
そして、その2つ以外の、「ビジネス」というフィールドで、
途上国支援ができるのではないか、と思った。

インフラ整備は、人間の最低限の人権だけを保障する
最もフェアな途上国貢献の仕方、と思い、
総合商社という特殊な業界で働くことに対して心配を持ちながらも、
ここで働くメリットは長い目で見ても大きい、と考え、
最終的にここの内定を受けることを決める。

そしてある日、就職活動で知り合った友人から、
あるベンチャー企業を紹介される。





     http://yootsuka-switch.up.seesaa.net/image/main_teresa.jpg



「途上国から世界に通用するブランドを創る」という理念を掲げる
そのベンチャー企業は、23歳の女性によって建てられた。

ワシントンでの国際機関インターンでの経験を通して、
TOP DOWN式の援助形式の途上国支援に疑問を抱き、
そのままバングラデシュへ。

そして現地で素材、生産者、工場を見つけ、
幾度のトラブルや裏切りを乗り越えて日本での販売に漕ぎ着けた。
現在では都内に4つの直営店を持ち、
優秀な人材を惹きつけて猛進している注目のベンチャー企業。

先進国の途上国に対する思いやりや哀れみで
商品を買ってもらうフェアトレードではいつまでたっても上下関係は解消しない。
先進国でも本当にブランドとして受け入れられるような
高付加価値商品を途上国で生産することで、
途上国と先進国の対等な関係作りが促せる。

シンパセティックな感情論に傾倒しがちな途上国貢献の理念を、
現実としてある世の中のシステムの中から実現していくには、
何よりも、誰よりも現実的で実践的な手段が求められる。


先進国の途上国に対する哀れみを取り払い、
途上国の先進国に対する甘えや依存を断ち切り、
お互いを真の意味で対等な立場に持ってくる。


それこそが、途上国の本当の底上げになるのではないか。



わーーーーーーーーーー!!!


衝撃を受けた。
これが正にTOP DOWNとBOTTOM UPの間を突いた、
いわゆるEQUALな関係に基づいた途上国支援なのではないか。

現地の生産者と顔を突き合わせ、
お互いがお互いの意見を主張しあい、
一方的でない共同でのビジネス作り。

これは、僕がずっと追い求めていた
something not TOP DOWN or BOTTOM UP
なのではないのか、と思えた。


本当に大きな衝撃だった。


23歳・・・僕は今23歳。
彼女が今の僕の年の頃、
彼女は単身でバングラに渡り、
あんな混沌とした国でビジネスを創っていた。。。



俺の行動力なんて、彼女の足元にも及ばない。



大きな、大きな衝撃を受けた。。。



この時の興奮は今までずっと冷めず、
結局、真実を少しでもこの目で確かめようと、
自分も一人バングラデシュに行ってしまった。

見えたものは沢山ある。




「途上国の「混沌」という状態は、想像を絶すること」



「そんな国で単身ビジネスを興そうということの大変さ」



「こんな最貧国と言われるようなところにも、希望は沢山埋まっていること」



「だからこそ、今世界中からモノが流れ込み始めたこと」



「バングラデシュでは、同じように熱い思いを持って活動している日本人が沢山いること」



「そして、現実的に夢を実現する方法もあるのだ、ということ」
(僕にとっても他のみなさんにとっても、これから、ですが。)




将来、自分の一番プラスになるビジネススキルが見に付けられる場所として
商社を選んだことは正しかったのだと思えた。
もし納得行かなかった場合は、その時はその時。
自分の納得の行く道を見つける・創りだせばいい。

そして、今この瞬間も、
こうして様々な形で途上国貢献を実現しようとしている
人が沢山いる。その事に焦りも感じている。
クヨクヨしている暇なんてない。



今自分にできることを、最大限しよう。
一歩でも、前に進もう。



Realistic Dream




夢をこの現実世界で叶える。
そんな事を追求している人はこの世界に沢山いる。
そしてそれは可能だと思う。絶対に。



「『日本人として』、世界という舞台で闘い、途上国の人々の未来を創る」



この夢を、この世界で、現実的に叶えるために、
まだ僕は具体的にどんな方法が一番納得が行くのかわからない。



でも僕は、これからもこの夢を追い続けたい。
途上国の未来を創りたい、という夢も見続けながら、
時には目が覚めそうなくらい痛い理不尽な現実から、目を背けることもなく。



Imayu



なんか最終回みたいな結びですけど、
ブログはまだしつこく続きますよw



 

慌しい日々が続いていますが、
バングラデシュ旅行パート3-1行きます。


沢山の人と彼らの持つエネルギーに
圧倒されっぱなしのダッカ滞在だったが、
少し町を離れてみると驚くほど違ったバングラデシュが垣間見える。




   
                                                                         retrieved from Wikitravel.


電車に揺られて7時間ほど。
バングラデシュ北東のSylhet(シレット)という町に赴いた。
ファーストクラスで200タカ(400円ほど)。この安さ有り得ない。

コムラプールの駅に出向いて時刻表を確認してみると、
ベンガル数字でしか表記してないではないか!
これはマズい。出発時刻も行き先も全く分からない。

しかしちょっと駅をウロウロしてみると、
違うところに大きく英語の時刻表板が。
よかった。。。

チケットを買うまでに10人ほどに割り込みされながら、
なんとかファーストクラスのチケットを手に入れる。


。。。



出発当日、早朝6時、ホームレスで溢れかえるホールを抜け、
駅のホームに着いてみると。。。


電車のドアが壊れている。。。
(開けた瞬間ゴガガーンと倒れてきた)


既に電車の屋根に乗客がワラワラ。
(屋根に乗れば料金がタダという噂です)


電車の中には物乞いがワラワラ。
(乗客の食べ残しとか忘れ物とかを狙っている)




まーそんな事はどうでもよくて、


英語表記が無い。。。


これには困った。
車線が8線ほどある上に、
車両、座席まで細かく指定されているので、
チケットに書かれているのと同じ番号を見つけるのは大変だ。
ベンガル数字だし。

15分くらいウロウロした後、
その辺にいた優しそうな男を捕まえて案内を頼む。
英語が喋れなくても凄く親切だった彼。
結局ファーストクラスの個室まで案内してくれました。


。。。



あれ?


なんでお前も座ってんの?www


案内してくれた彼、そのまま席に座って立ち去ろうとしません。



「シレット行くの?」と聞くと、
「スリ!!!スリモンゴール!!!」とうれしそうに答えた。
どうやら途中下車するらしい(シレットが終点)。





                一緒に写真撮っちゃったりなんかして。。。笑



俺のヘタクソなベンガル語と彼のヘタクソな英語で会話が弾む中、
電車の警備員が来る。



「チケット見せなさーい。」



そうしたら彼、実はファーストクラスではなく
普通のチケットしか持っておらず、
警備員に連行されて行きました。。。
俺に便乗しようとしたのだろうか。。。


どおりでなんかキョロキョロしてたようなwww


俺も急いでチケット見せようとしたら、
「ノーノー^^」と満面の笑みで遮られました。



え!?



何で!?



顔パス!?



こんな日本だったら誰もが避けるような格好してる俺が!?



ユニクロのパーマンのTシャツ&ユニクロのカーゴパンツですよ!?
                                
                                あと靴下とパンツもユニ・・・




この経験で、日本人、というアジアでのステータスを感じてしまった。
今まで、ロンドン、アメリカ、カナダ、ドイツ、東ヨーロッパと、
アジア人の肩身が狭い国しか回ってこなかったから、
この経験には戸惑った。



しかし全く嬉しくない。



この後、30分置きに紅茶やらサンドイッチやらお菓子を売りつけに来る
怪しい駅員や掃除屋さんや警備員やスタッフをかわしながら、
停車駅ごとに相部屋になる変なバングラ人達との交流を楽しみながら、
シレットへの旅は続くのでした・・・



続く。


Imayu



次回、リアルバングラデシュ!!!

今日はバングラデシュパート2、ダッカ編です。


2週間のバングラデシュ滞在期間中、
ダッカには実質9日間いた。

バングラデシュの国柄に慣れるのに時間がかかったことと、
次々とダッカで予定が入っていったこと、
電車などの交通インフラが整っていなかったこと
(道路さえも!!!)
などから、ダッカ滞在が長引いてしまった。

都市としてはそれほど大きくないダッカも、
本気で隅々まで回ろうとしたら9日あっても足りなかった。

何しろ、道が悪く人が多すぎるせいで、
(ダッカ市内はどこへ行っても新宿並みの混雑ぶり)
のんびり歩きながら目的地へ行くことができない。

かといってリキシャやガスリキシャ(CNGと呼ぶ)を使っても、
渋滞が酷すぎて、5キロ位先の目的地に着くのに1時間はかかる。

ダッカ市内には電車の駅が4つほどあるのだが、
1日一本しか無い上に、全てベンガル語で数字もベンガル数字。
ありがとうございました。


と、いうことで、今日はあるようで無い、
無いようであるダッカの素敵な観光地をお届けします^^




                                                                                        Kawran, Dhanmondi


スラムではない。
カワランバザールというダッカ有数のマーケット。
バザールという名前が地名に付くと大抵マーケットがある。
(無いこともある)

取れたて新鮮野菜や衣服、楽器に電化製品に鉄細工に家具と、
必要なものは大抵手に入る。クオリティは無視。
ベッドの土台は、その辺の木片を集めて作ったもので1000タカほど。
(1タカ=約2円。俺の行った時は円高で1タカ=1.5円だった。)

ダッカの貧富の差を象徴したようなマーケットで、
ここから道路を挟んだ反対側には、バングラデシュ1の5つ星ホテル、
シュナルガオンホテルがあり、一方には、
Jonson&Jonson、HSBC、三菱商事などの
一流外資が入居する高層ビルが立ち並ぶ。




                                                                              Sadr Gatt, Old Dhaka

Sadr Gatt(サダルガット)は厳密には船着場の場所。
ここは、その船着場のあるブリゴンガ川のすぐ近くにあるマーケット。

この辺り一帯は、オールドダッカと呼ばれていて、
ムガール帝国時代の遺跡や、
バングラの昔ながらの街並みが残っている地域。

噛みタバコやら怪しげな粉やら奇妙な香辛料を売っている。
噛みタバコ、トライしたかったけどチキンな俺には勇気がなかった。

この辺りで、「マイコードネームイズダイスケ!!!」と言い寄ってくる
怪しすぎるバングラ人がいて面倒だった。
巻こうと思ってグルグルしてみたは良いけれど、
さすが地元民。ずっと付いてくる。
だんだんやけになってきて、仕舞いには俺が迷子になる始末。。。

結局この「ダイスケ」に、
観光名所のピンクパレスまで連れて行ってもらいましたとさ。






「ダイスケ」。怪しすぎる。。。ボクシーシか!お前もボクシーシか!!!笑






。。。








                                                                                   Pink Palace, Old Dhaka



これがピンクパレス。
凄い!ムガール帝国の文化!と言いたい所だけど、
実は1800年代後半に作られた個人の邸宅。人の家です。
入場料は2タカ。

中は博物館になっているのだけど、全てベンガル語で全く理解できず。
ローカルの金持ちには人気のデートスポットらしく、そこら中にいた。

館内での撮影は禁止で、この写真も柵の外からコソコソと撮った。
手荷物をゲート近くで預けなければならず、
館内では、盗まれやしないかとずっと心配だった。

ちなみに、例のダイスケは、
このピンクパレスの中まで付いて来ようとしたけど、
「お前の入場料は出さないよ」と言ったらしぶしぶ帰っていきました。




                                                                               Larlburg Fort, Old Dhaka



ピンクパレスからリキシャに揺られ30分。  チリンチリン


これこそがムガール帝国の建造物、ラールバーグフォート
1678年から建設が始まったが未だ完成していない。
入場料、バングラ人5タカ、外国人100タカというあまりに大胆不敵な価格差別www
余りににあからさま過ぎて値切る気にもなれずwww

有料の公園や観光地は静かで、どうやら地元の人たちの憩いの場らしい。
ここもそこら中カップルだらけで、ここは本当にイスラム国か?と思った。
ダッカ大学でもそうだけど、やはり若い人達はどんどん無宗教化している。
とはいえ、その辺の道端であからさまにいちゃつく事もできないので、
こういう閉鎖された空間で思いっきり発散するのだろう。

でも暑さにやられて一人でフラフラしていた俺には辛かった。ははは。

なぜかここで俺は随分人気者になり、
遠足に来ていた学校の先生やら生徒やらが次々話しかけてくる。
ベンガル語わかんないのに。笑
でも何故か意思疎通できた。笑
50人近く話したんじゃないか。

ここでダッカ大学の3人衆と出会い(彼らは英語が上手だった!!)、
一緒にご飯を食べたり、日が暮れるまで話し込んだり。
いやー楽しかったなぁ。良いやつらだった。





                                                                       Komlapur Station, Komlapur



コムラプールステーション。
バングラデシュ各地に向かう電車はここから出ている。
俺の住んでいた所とオールドダッカの間くらいにあって、
オートリキシャで1時間かかる。

バングラにしては随分立派な建物だけど、
階段の影やちょっとした段差のあるところには物乞いが沢山。

そして駅の反対側を見ると・・・









わらっ。

駅から出てくる客待ちのタクシー、リキシャ、オートリキシャが沢山!!!
外国人が出てくるとみるや全員一斉に寄ってきて声をかけてくる。

俺の時もしかり。
全員が俺の事を見てきて、一斉に寄ってくる。
「リキシャ!!!???リキシャ!!!???リキシャ!!!???ボク・・・
いや、ボクシーシはやらんから!!!




  
                                                                                 2 Nombor Market, Gulshan



ここは俺の住んでいたところから歩いて5分のドゥイノンボルマーケット
果物、野菜、肉、魚、卵など新鮮な食べ物ならなんでも揃う。
ちょっと歩いているだけで小さな子供が寄ってきて、
うちで買っていけ、うちのをちょっと見て行け、と服を引っ張る。
(そして10倍くらいの値段を吹っかけてくる。)

鶏は生きたまま網に入れてあり、
お客が選んだ鳥を掴んでその場で首を切ってさばく。
ショック過ぎてちょっと逃げ出した。苦笑

なのに。。。








あーやっぱり馴染んでしまった。
この少年は、エクアドル人の友達、サンチ君に似ていた。
この後、後ろから鶏の血が飛んできた。
あれ、鶏インフルエンザとかなんとかどうとか。。。


うーん。



とりあえず、バングラデシュではどこへ行っても人に囲まれる。
写真でも撮ろうとしてカメラを出したら尚更のこと。
でも彼らは純粋な好奇心からそうしているだけで、
話しかけてみると皆優しくて親切だ。

バングラデシュは、観光産業が全く発達していなくて、
ダッカ市内でもこれ!という見所は殆んどない。

でも、日本の4分の1ほどの狭すぎる国土に暮らしている
1億5千万人もの人々が、
この混沌とした、しかしエネルギッシュで、
「命」そのものをひしひしと感じるような
バングラデシュの文化そのものなのだと感じた。


バングラデシュの文化はヒト、そのものである。


というわけで、次はシレットに見るバングラデシュの違った一面をご紹介します^^



Imayu


不覚にもダイスケに愛着が湧いてしまった人www 

今日は、高輪グランドプリンスホテルにて、
日経BP社の主宰する「日本イノベーター大賞2008」の授賞式に参加してきました。


受賞者は次の3人


優秀賞  株式会社ファインパーツ 代表取締役 黒田義光 
       (http://www.fineparts.co.jp/)

       住友化学株式会社 農業科学部門 主観 伊藤高明
                 (http://www.sumitomo-chem.co.jp/csr/africa/)


大賞    米マイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーション(MFIC)
       社長 兼 CEO 枋迫篤昌
                 (http://www.mfi-corp.com/default.asp)
                 (http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061030/112688/?P=1)


日経BPのメルマガを購読していて、
偶然イノベーター大賞の告知を見つけ、応募してみた。
運よく参加権を頂いたので行って来ました。



株式会社ファインパーツは、
ボールペンやケータイ電話などの小型機械などに使われる
スプリング、ばねを製作している。

ボールペンのシリコンボールを押し出すばねは
ものすごく小さくなくてはならず、
ばねの太さは髪の毛の太さの5分の1にもなる。

「電子機器などの部品はますます小さくなる」との傾向に着眼した
黒田氏は、いち早く小さなスプリングの製作を開始。
現在では世界の小スプリングシェア90%を誇る。


住友化学の伊藤氏は、年間5~6億人が感染し、
100万人以上の人が死に至るマラリアの「除去」を画策。
そのために、特別な薬品を繊維に編みこんだ蚊帳を開発する。

そもそも蚊帳を使う習慣のないアフリカで
蚊帳の使用を促進するのは簡単ではない。

しかも、高温多湿のアフリカでは、
蚊帳を使ったところで網目が細かすぎて内部に熱がこもり、
暑さに耐えられず蚊帳の使用をやめてしまう人が多数いた。

そこで伊藤氏は、蚊が嫌う特殊な薬品を蚊帳の繊維に折込み、
蚊帳の網目を大きくしても蚊が通過しないようにし、
たとえ通過しても吸血能力を絶つ蚊帳を作り出した。

結果としてある村では、年間59人いたマラリア感染者が0になり、
タンザニアの首都アルーシャ近くに工場を作り、
3000人もの雇用を創出した。


マイクロファイナンス・
インターナショナル・コーポレーション(MFIC)
は、
アメリカの南アメリカからの出稼ぎ移民の母国への送金問題に着目。

出稼ぎ移民はアメリカでは信用が無く、銀行口座を作ることができない。
しかし給料は小切手でもらうことが多く、
現金化するには町の商店で不正に行うことがしばしばある。

そしてこの現金化で手数料5%ほどを取られ、
銀行などから母国に送金するために手数料が15~20%取られ、
そして、為替知識のない送金者は為替手数料で更に数10%を騙し取られる。

結果として、稼いだ給料の50%近くが
送金するまでの手数料で消えてしまうという問題があった。

そこで枋迫氏は、小口単位(200ドル位)での送金用のお金を集め、
一度に彼らの母国へ送金し、手数料を3%ほどに抑えるとともに、
母国での開発援助、融資(マイクロクレジットなど)に役立てるシステムを作った。



 
                                                                Retrieved from MIFC



すごい。。。
金融という第三次産業の最先端の技術を、
それにアクセスする機会さえ持てない
途上国からの移民のために再構築する。。。


銀行マン時代にメキシコで目の当たりにした貧困の衝撃を忘れずに、
銀行でその道のプロフェッショナルになってから
それの技術を途上国のために捧げる。

ワシントンの会議で「移民の送金」が「議論」されるだけで終始する中、
「これではいけない」、と自ら変化を創りだした枋迫氏。

「出稼ぎ移民の海外送金」という、
一見、途上国貢献としてはニッチ的な分野を追求し、
途上国と先進国の金融システムの関係のあり方そのものにまで影響を与えている。


そして、ただの「援助」で終わらせないための利益スキームの構築。


若い頃の思いを何十年も忘れずに持ち続ける情熱と、
そして自分に必要なスキルが揃ったと思った瞬間に行動に移す実行力。
後列で話を聞いているだけでゾクゾクした。

今日の受賞式では、枋迫氏は終始柔らかい笑顔を見せていたが、
このビジネスを立ち上げるために想像を絶する苦労があったに違いない。




銀行に対する不信感を持っている移民達をどうやって説得するのか。



そもそも銀行、金融の意味を分かっていない移民にはどう説明するのだろう。



途上国での金融インフラ整備は簡単にはいかないだろう。



現地でMFICの店舗を立ち上げる時も、裏切りなどがあったかもしれない。




幾多の試練を乗り越えて、自分の持っているスキルを最大限に活かして、
現実的なビジネス性と途上国貢献の社会性を両立したスキームを作る。。。
そしてそれが、根本的な先進国と途上国の関係の再構築を促している。。。

すごすぎる。


グラミンバンクのムハマド・ユヌスがノーベル賞を取った時は、
「こんな画期的な途上国貢献があるのか!」と度胆を抜かれたけれど、
地球の反対側では、それに深く関わってビジネスを興している日本人がいた。

そして、行き過ぎた金融システムが世界経済を揺るがしている今、
MFICのように、本当に世の中に必要な、実需に基づいた金融システムを提示することは、
金融のカタチ、あるべき姿を人々に問い正させる意味を持つのだと思う。




日本人、凄い。




今日の授賞式では、
俺が大学2年の頃からずっと思い続けてきた
日本人の可能性を目の当たりにした。

アジアンバリュー

日本の持つ世界のどこにも負けない「技術力」。
そして、宗教、政治などの偏見を超えて
アフリカ、アジア、欧米、ラテンアメリカ、ロシア・・・
どこでも対等に闘っていける「中立性」。

日本人はまだまだ、もっともっと世界で闘える。




今日は本当にいい刺激を受けた。

俺も頑張ろう!


Imayu


受賞者も凄かったけど、審査員も凄かったwww→ 

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Profile
HN:
Imayu
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1985/05/13
趣味:
ドラム・筋トレ・読書・旅行・絵描き・マグカップ収集 etc...
自己紹介:
英語偏差値30の高校時代を経て、カナダ東海岸、St.Thomas Universityに留学。政治科学と人権学を専攻。専門はアフリカ人権問題とドイツ政党政治。2009年4月付けで、某財閥系総合商社へ入社。

先進国に生を受けたからには世界を相手に何か出来る事が、すべき事があるんじゃないか。「『日本人として』、世界という舞台で闘い、途上国の人々の未来を創る」という夢に向かって邁進中。ビジネスを通した途上国貢献の道を模索中。

''Watch your thoughts; they become words.
Watch your words: they become actions.
Watch your actions: they become habits.
Watch your habits; they become character.

Watch your character; for it becomes your destiny.''

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