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英語偏差値30からカナダ東海岸St.Thomas Universityに留学。卒業後2009年4月、某財閥系総合商社へ入社。
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最近は更新が滞ってしまって申し訳ないです。
去年牧場から期間して以来、友達の大切さを再確認しましてミクシィを始めまして。
その2つの定期的な更新維持はなかなか難しく、こちらのブログが止まり気味になってしまいました。
ミクシィの内容と重なることも多いのですが、こちらにもUPしていきます。


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田母神前航空幕僚長の『自らの身は顧みず』を、
今更ながらざっと読んでみた。

この本は今回のエントリーの主題ではないので詳しい内容は割愛するけど(参考リンク)、要するに彼が言いたいのは、「日本は歴史的な過ちなど犯していない、すなわち侵略国家ではないのだから、日本の誇りと主体性を取り戻しなさいよ」ということ。

①南京虐殺は実際には行われていない
②真珠湾攻撃はコミンテルンの策略だった
③日本兵は常に国際法を遵守していた etc.

にも関わらず日本がこれほどの自虐史観を持つのは、東京裁判とそれ以降の占領で列強諸国がそれを植えつけたから、だと。


彼の主張も的を射ているところは多々あるし、国体への問題提議、という意味では有益な本だと思うけど、俺が何より感じたのは、「歴史観を変える、または新しい歴史観を説得力を持って提示するのって本当に難しいな」ということ。



      
                                               Pieter Prueghel




俺の専攻は歴史学ではないので、詳しいパラダイムシフトなどを踏まえて説明することは出来ないのだけど、歴史なんて言ってみれば見方によってどうとでもなる。

南京虐殺について、田母神さんが上記のような主張をする一方、「南京虐殺では30万人殺された」とか、「実は10万人だった」(中道派、なんて言い方をしたりする)とか、色んな意見がある。それぞれの主張をサポートするための資料を片っ端から選んで集めてくれば、どんな主張でも作り上げることができる。

違う「歴史」を見てみよう。9.11、イラク戦争時(今も)のイスラム教に対するイメージ・歴史観は、「排他的」「原理主義的」「ジハードの概念が危険」というものだった。

特にジハードを例に取ってみる。「ジハードはイスラム教徒に他宗教を弾圧する正当性を与える」、「ジハードは非人道的」、という歴史観を作り出したければ、

①リコンキスタ時代のアンダルシアでは、ジハードは戦争を仕掛けることを正当化するために解釈された
②十字軍との衝突の時代では、ジハードは兵隊確保、捕虜の処分のために、奴隷制度、死刑制度、税制度を整備する際に多様に解釈された
③近代では、パキスタンの独立や領土拡大のための戦争を正当化するためにジハードは解釈された
④ビン・ラディンは、アメリカを十字軍に見立ててそれの迎撃を正当化するためにジハードを解釈した etcetcetc....

と、ジハードが戦争を正当化した例をイスラム1500年の歴史から片っ端から集めればいい。


逆に、「イスラムは平和な宗教なんだ」「他宗教との共存も認めている」と主張したければ、

①ムハンマドはメディーナでの布教に際して、現地のユダヤ人との共生を計ったが拒否された
②アバシッド時代では、イスラム政府の高官にユダヤ人を積極的に登用していた
③コーランには、'people of the book'という、他宗教を認める項目がある etcetcetc...

と、イスラム教が他宗教と共存していた、しようとしていた例を片っ端から集めればいい。

なので、一つの歴史観にまとまることなんてありえないし、ある歴史観が他の歴史観よりも正しい、なんて主張することも不可能に近い。

より多くの資料と説得力のある情報源を携えた主張が一番正しいのかもしれないけど、そのためには、その資料がどれだけ信用できるか、をまず議論しなければならない。そこで明確な基準を示すことも不可能。

更には、そんな昔から現代に残っている歴史書が公正にその時代を記述してあるのか、といえばそうではない。日本書紀が別名藤原史観と呼ばれるように、ローマ帝国時代の文献であればそれを正当化するような記述に傾倒しているだろう。誰でも好きなように歴史を記録できる現代ならまだしも、限られた人しか文字を使えなかった昔であれば尚更のこと。その時代ごとに違った時代背景があるのに、それを想像しえない現代人が、その時代の資料だけに基づいて歴史を理解し、歴史観を作る、なんて本当に出来るのか。

だから、歴史観に説得力を持たせるのは物凄く難しいんだね。


でも、だからこそ、歴史学というのは、その時代に何が起こったのかについて、より深い理解と、説得力のある説明を追い求めるロマンがあるのかもしれない。

俺が大学4年の時に唯一取った歴史学の教授が言っていたことを思い出す。

''We never know about history, but history is all about understanding it.''

完全に歴史を知ることは出来ないけれど、それを理解する事こそが歴史学だ、と。

うーん、なるほど。


※田母神さんの話に少し戻る。彼は、近代日本の歴史観を書いているので、資料に基づいた論証が比較的しやすかったはず。それでも彼は著書の中でその情報源をロクに提示していないので論外。


ここでふと、政治科学と歴史学は非常に仲が悪い、ということを思い出した。


つづく。


Imayu

それでも歴史大好き!
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HN:
Imayu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1985/05/13
趣味:
ドラム・筋トレ・読書・旅行・絵描き・マグカップ収集 etc...
自己紹介:
英語偏差値30の高校時代を経て、カナダ東海岸、St.Thomas Universityに留学。政治科学と人権学を専攻。専門はアフリカ人権問題とドイツ政党政治。2009年4月付けで、某財閥系総合商社へ入社。

先進国に生を受けたからには世界を相手に何か出来る事が、すべき事があるんじゃないか。「『日本人として』、世界という舞台で闘い、途上国の人々の未来を創る」という夢に向かって邁進中。ビジネスを通した途上国貢献の道を模索中。

''Watch your thoughts; they become words.
Watch your words: they become actions.
Watch your actions: they become habits.
Watch your habits; they become character.

Watch your character; for it becomes your destiny.''

※メール→imayu_canada[at]yahoo.co.jp(ブログ用)
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