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英語偏差値30からカナダ東海岸St.Thomas Universityに留学。卒業後2009年4月、某財閥系総合商社へ入社。
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<Realistic Dreamシリーズ進行中>

Realistic Dream (1) I am so lucky... 



                                                              retrieved from The United Nations.




何かをしなければ世界は変わらない、
しかし、それには目の前に立ちはだかる余りに大きな壁がある。
そんな現実と理想の狭間で大学生活を過ごしていた。

自分は一体この世界で何ができるのだろう。
毎日、毎日、考えていた。



そこで浮かんできた進路が、
国連、世界銀行などの国際機関と、
NGO、NPOなどの草の根機関

本気で国連を目指したし、入るつもりでいた。
そのための名誉プログラムでもあった。

ただ、毎日国際機関について学んで、
その山のような欠陥を分析してきただけに、
本当にここで、途上国の現場に届く仕事ができるのか?
と疑問に思っていた。


国連に実際に行ってスタッフを質問攻めにした。
国連の問題点や欠陥について沢山尋ねた。
答えは、Yes, that's a good point, but we ~.
という抽象的なものばかり。

彼の答えには満足できず、
時期的には少し遅れてしまったが、
より具体的に国連の機能性を確かめるため、
模擬国連も参加した。

所詮、模擬であるからこれだけで
全てを結論付けることは出来ないが
予想は的中。

国力がモロに発言力に影響するGeneral Assemblyの議会で、
各国が自分の国益のみを考えてぶつかり合う。
やっと法案が通ったと思えば、常任理事国が出てくる。

途上国が実際に直面している問題なんて関係ない。
問題なのは、
いかにタイミングよく発言権を得、
いかに主要国の協賛を得、
いかに法案に自国の国益になるようなコンポーネントを盛り込むか。

''Your mission is to promote your country's national interest as much as possible through international system.''

会場でこの言葉を聞いた瞬間、俺の国連への期待は消し飛んだ。


もちろん、国家の存在理由はその存続と国民の庇護であるから、
国益を考えるべき、という考えそのものには反対しない。

だが、この極端な国益主義は、
国連憲章に掲げられた理念を完全に無視していないか?

Preamble: We the people of the United Nations determined...

---to practice tolerance and live together in peace with one another as good neighbours, and

---to unite our strength to maintain international peace and security, and

---to ensure, by the acceptance of principles and the institution of methods, that armed force shall not be used, save in the common interest, and

---to employ international machinery for the promotion of the economic and social advancement of all peoples...  (my emphasis)

(Charter of the United Nations)


この理念はどこへ行った?

国連のメンバーは、
他国を良い隣人として寛容をもって受け入れ、平和に共存し、
国際平和と安全を維持するために協力し、
共通の利益以外での武力を除いた方法を用い、
全ての人々の経済的、社会的発達を促すために国際機関を用いる。

この国連憲章からすると国連は、
「ただ各国が国益を主張して妥協点を探る場所」
では無いはずだ。

この国連に対する不信から始まり、
WB、IBRD、IMF、ODA・・・
他の、トップダウン式の国際機関や
そのしくみ全体に疑問を持つようになった。

上から下へ資金投下、現場を知らずに発展途上国を援助、
これは、自分が本当にやりたいことではない、と感じるようになっていた。



では、NGO、NPO?

ボトムアップのNPO、NGOなら
現地の人々と関われるし、
自分の行動がそのまま効果として表れ、
やりがいもあるのでは?

確かに。それはそれで非常に魅力的だった。
スープキッチンでボランティアをした時にも思ったけど、
ボランティアをしている時は目の前で人の笑顔を見られるし、
何より自分が必要とされている感じがした。

ただ、このような現地の人と携わる活動の中で、
自分が生涯を捧げてやりがいを感じられるかどうかは疑問だった。

この活動で言えば、自分がいくら食事をホームレス達に作っても、
ホームレスの数は減るわけではないし、結局のいたちごっこ。
NGO・NPOの活動に身を投じても、いつか徒労を感じてしまうのでは?
と思った。

そして、幾つかのNPO・NGOを調べていて気付いたのは、
活動の実態を掴みづらいこと、
団体の数が星の数ほどあり、絞りづらいこと、
明確なキャリアプランを定めづらいこと、
(将来をイメージしづらい)
そして、給料が低いこと。

計画立てて自分を成長させていきたい自分にとって、
キャリアがどれだけイメージできるかはとても大事だった。
団体も活動も星の数程あり、自分をその中の一つの
どこに位置づければいいのかが分からなかった。

そして何より、給料が低い。
月10万円なんて当たり前。
こんな給料では単純に生活できない。
調べてみると、スキルと実績のある国際開発のプロでさえ、
同じような給与水準で雇われることがしばしばあるらしい。

裕福でもない家から半ば強引に、
スカラーシップまでもぎ取ってどうにか留学した俺は、
これ以上親に心配も迷惑も掛けたくなかった。

将来的にNGO・NPOに関わることはあるかもしれない。
しかしまず、自立して、自分で責任を持たなければ。

こうして、NGO・NPOは、俺の選択肢から外れた。



考えた末、また振り出しに戻ってしまった。



僕はこの世界で何ができるんだろう。



また同じ質問を繰り返す。無限ループ。



自分のこの考え方は間違っているのかな?
自分が納得する国際貢献のカタチなんてあるのかな?
自分は所詮、批判的なだけで何もしないだけなのではないのだろうか?



不安が募る。



それから逃げるようにして、
ことさら勉強に打ち込むようになった。




そんな時、いつものようにネットで新聞をチェックしていた時、ある記事に出会う。




それが全ての始まりだった。



Imayu



思い出して胸が苦しくなってきた(苦笑)→ 

 

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さて、内定式ももう終わったことだし、
唐突だがここに、
なぜ僕が総合商社を就職先として選んだか、
を纏めておきたい。

在学中から聞かれる事も多かったのだが、
実際に話し始めると止まらないので、
いつかブログにまとめようと思っていた。

しかし、
自分がこの就職先を
100%納得して選んだわけではないので、
(内定してしばらくは確かに浮かれていたが)
そしてそれを実際に内定が確定する前に
ウダウダ書いて変な誤解を生んでも困ると思い
今まで書かないでいた。

なので今日からここに整理しておく。



          


国際貢献。


漠然と、しかし断固とした夢を持っていた自分は、
将来どうにかして発展途上国の人々の生活を助けたい、と考えていた。

僕がこんな思いを持ったきっかけは、
大学生活での多くの友人との出会いだった。



何故かラテンアメリカ、アフリカからの友人が多かった僕は、
日頃から彼らの母国の悲惨な現状を聞かされてきた。
''you guys are so lucky to be born in such a good country.''
そんな事を考えたことも無かった自分は、
この友人の何気ない一言に心臓を打ち抜かれ、
答えに窮した。何も言えなかった。


大学2年の時、アフリカ人の友人が
スーダン(ダルフール)研修を企画しているのを手伝った。
実際にNGOオフィスのヘッドも経験したことのある
10種類程の言語を操るナイジェリア人で、変わり者。
俺も含めて周りとは中々ウマが合わず苦労もしたが、
自分にも何か世界に出来る事があるのかと思うと、ワクワクしていた。

まさにその瞬間にダルフール情勢が悪化。研修はもちろん挫折。
いつでも遠い大陸で起こっていたはずの悲惨な出来事が、
この時初めて身近に感じた。

''We can't actually change this world.
In Africa, people will continue to kill and die.
The only thing we can do is to make people aware of this fact,
so it will...will probably make a difference.''

この言葉に僕は納得していなかったが、何も言えなかった。
その時の友人の悲しそうな顔を僕は忘れない。


そしてクラスでは、
人権学で世の中の残酷さ、理不尽さをこれでもかというくらい痛感させられ、
政治科学でそれらを、「AだからBなんだ」とドライ(ロジカル)に学んだ。
実際に何かしなければ世界は変わらない。
しかしそれには僕一人では到底太刀打ちできないような壁がある、
そんな矛盾を日々感じた。

人権学部の生徒が、
''We must dooooo somethiiiiiing!! Yes! We have to!''
と高揚するのをドライに見つめながら、
違う、違う、違う、何かが違う。
おそらく大学内で一番国際貢献に近いであろう学部に身を置きながら、
そのあり方に常に疑問を持っていた。

しかし、「じゃあ俺に何が出来る!?」
そんな疑問に全く答えられない自分がいた。


こんな、自分の世界観を根底から
掻き混ぜられるような経験を毎日してきて、
僕がこの世界で出来る事は一体何なんだろう、といつも思っていた。

次第に、クラスにいる時、勉強している時、
食事している時、友達と話している時、眠りにつく時、
ふと、自分がいかに恵まれているかを改めて認識する度に、
この時期精神的に不安定だったことも重なって、
僕は何かを見つけなければ、と考えるようになっていた。

思い返せば、本当に変な時期だったと思う。
自分が何をするにしても、それを客観的に見つめている自分がいた。
「こんな恵まれた環境に生まれて、このまま普通に生きていくのか。」
そんな風に、自分を見ている自分が、いた。



俺は、このままでいいのだろうか。



俺には一体、この世界で何ができるのだろう。



毎日、毎日考えていた。


Imayu


続く・・・→ 

ええと、ちょっと今回は臨時の連絡です。

最近パーティだったり友達との食事が多かったのもあって、
いつもは中々会わない日本人留学生の話を聞く機会が沢山ありました。

そこでこの夏に日本に帰って就活をする留学生が予想以上に多い事、
そしてそのほとんどの人が4月の下旬~5月上旬に帰国することがわかったので、
ここで俺が黙ってるのもナンセンスかと思ったのでちょっとこの場で連絡。



ただでさえ日本の大学生に比べて情報の少ない留学生が、
更に情報の入りづらい「留学生採用」というカタチで就活するわけです。

ネットで調べても限界がある。結局何をすればいいかわからない。
日本に帰ってからやればいいでしょ、となる。

それでは遅い。
こっちにいる時から何をすべきかリストアップしてやらないと
全てが遅くなって、結局あっという間に就活の期間なんて終わってしまう。

日本にいようがいまいが情報の元なんて結局ネット。
日本に帰って特に手に入るようになる情報なんて本くらい。

しかし日本に帰って闇雲に就活本なんて読んでいても遅い。

結局一番手っ取り早いのは、経験者からナマの情報を得る事、だと思うんだよね。



だから、この夏に日本で就活する人で
何をすればいいかわからない人、
どうもイメージが湧かない人
連絡下さい

実際にやった人間にしか分からない事があると思うし、
それを自分の中に溜めておいてムダにしてしまうのはもったいない。


例えば、


マトモな留学生として見られるにはTOEIC900点以上が最低条件。
そしてそのTOEICの結果が出るのは受験一ヵ月後で、
6月からの本格的な就活でその点数を使うためには
5月の受験が絶対に必要。
そしてその5月のTOEIC受験申し込みはもうすでに始まってる。
(ちなみに締め切りは4月の16日。もう2週間切ってるよ。) 
急いだほうがいいよ。


エントリーシート、面接では、「よく友達から見た自分」というのを聞かれる。
他人から見た自分(長所、短所含め)って、想像以上に重要で受け入れるのが難しい。
留学生としての自分を知ってる友達に話を聞けるのは、今しかないよね。
それで自分を真摯に見つめ直して、自分の姿も見えてくる。
俺も去年ある友人2人に随分ズバズバと言われたけど(苦笑)、
それがあったからこそ今の自分があると確信してる。
友達から話が聞けるのは、今しかないよ。


会社の人事の人は留学生を特別な存在だと思ってない。
むしろ変な意味でフランクでマナーがなってなかったりで、
慎重な態度を取る傾向がある。コレ実際に聞いた話。
日本の大学生も海外大生も求められてるのは一緒。
「自分の軸(主体的生き方)があるかどうか」。
「留学生は英語力があるし、
文化交流でコミュニケーション力があるし、是非欲しいなぁ」
なんて思ってる甘い人事は一人といない(マトモな会社なら)。


その他キャリアフェアーのシステム、
エントリーシート、
面接、
上京者の就活について、

などなどなどなどなどなどなど・・・・・・・・・・・



みんな知ってた?

こんなのはほんのほんの一部。
実際に経験をしなきゃ分からない事があるし、
知らなきゃ手遅れになる事が山ほどある。

俺も去年だれも頼りになる人がいなくて、
雲を掴むような就活をしてたから気持ちはよく分かる。
俺の就活が上手く行ったのは運が良かったから。

だから、みんなにはこんな、
経験者がいればいくらでも防げた不安を感じて欲しくないし、
俺が知ってる事はできるだけ全て話しておきたい。


聞いて損する事は0。
でも聞かないで損する事は1000000000000000000000000。
断言します。




だから、この夏に日本で就活する人、
連絡下さい

まだ遅くない。

決めました。会社。

両方の会社を行き来しつつ、
両社の社員さんに交互にお話を伺いつつ、
悩みに悩んだ結果、
長い目で自分を見て成長を期待してくれている
とより強く感じた会社で働くことにしました。

正直なところ、どちらの会社も魅力的な人ばかりで、
自分を買ってくれている、というのは強く感じた。
どちらの会社に入社しても10年後には良かった、って言ってると思う。
甲乙つける事なんてできないな、と思った。

だから、「長い目で~してくれている」と言いつつも、
もし他社の話をもう一回聞いたらこの気持ちも変わったかもしれない。
でも、本当に考え抜いて甲乙つけがたい、って心から感じたし、
将来どちらの会社でも後悔しない、って事も感じたから、
今、この気持ちを大切にして、より惹かれる会社に決めました。

本当に清々しい気持ち。
長かった。よく頑張ったと思う。
でも、こうして最高のカタチで「就活」を終えられたことは本当に幸せだし、
今後の俺が成長していく1つのステップにもなったと思う。

これからも頑張るぞー!!!
意外と何とかなるもんだ、努力すれば。
おほいおほい、こんばんは。
疲れてます。心労です。

最近解かってきたことだけど、
就活ってのは色んなフェイズ、段階があるのな。

自己分析→自分のやりたい仕事→企業研究・筆記試験の勉強
→エントリーシート→筆記試験→面接→内定→その後色々・・・

まあこれは俺が考える範囲での段階だけどね。
俺もこの通りの順序でやってたわけじゃないし。
(自分は、最初にやりたい仕事像がかなりハッキリあったので、企業研究から入りました)

それぞれのフェイズで苦労がある。違った苦労が。
内定貰った後の苦労なんて、内定貰うまでのそれに比べたら
なんでもないのかもしれないけど、
真剣に、死ぬほどやってきてようやく貰った内定は、
一つであってもそれ以上であってもそのすべてに価値がある。

思い入れ
もある。

そして何より重みがある。

それを最後一つに絞らなきゃいけない。それもまた苦労。
そして実際に出向いて辞退する。それもまた大変な苦労。
就活初めには全く予期していなかった、そんな苦労を感じているImayuです。

8月は完全にフリーで、Honour Programの準備をしよう、なんて
計画を立ててウハウハしていた自分がバカだった。
下手したらカナダに戻る直前まで就活をしているんじゃないか。。。苦笑
でもあと一息だ。

でもね、リフレッシュもちゃんとしてますよ。
今日はプールに行ってきました!!!
突然思い立って。笑

ホント何年ぶり、十年ぶり位で来ました。
ストレスを水で洗い流したかったんです。
暑いし、今日。34度だって。
カナダ暮らしのImayuは蒸発しますよ。

小さい頃に来た時は、「流れるプール」が深くて、
しかも流れが速くて、どんどん流されていた自分。
水が流れてくる所まで行くと激流で流されて頭打ったりした。

そんなプールに行ってみた。
もう速攻で流れるプールに行きましたよ。
郷愁の念に導かれて。うん。
そうしたらね、



流れない。笑


えっ!?ここ流れるプールでしょ?あの楽しい流れるプール。

でも、考えてみよう。
10年も経てばImayuも成長します。
かつて肩まであった水かさも今では腰よりも低く、
そしてかつての激流も、185センチの俺を押し流すほど強く感じられず、
水の吹き出し口まで行ってもちょっとこそばゆい程度。
はて、どうしたものか・・・

しかも筋トレをずっとしているせいなのか、背が高いせいなのか、
顔がマズいせいなのか、水着の趣味が悪いせいなのか、それとも臭いのか、




子供達の視線が痛い。




これは唯の自意識過剰だろうか。。。



あ~思い出した。子供の頃の事。
流れるプールはもっぱら子連れ家族の団欒の場。
そんなところに高校生、大学生のお兄さん達が居て
ちょっと迷惑してたよ、俺が小さい時。
大きい体して吹き出し口に集まったりしてね。

お前ら子供か!?
お前らはもっと深い波のプールとか競泳プール行けよ、
とか思ってた。

当時の少年Imayuは、筋肉質で上半身裸のお兄さんが恐かったから、
そんな時は居心地悪かったよなぁ。変な気を使ったりして。

ごめんなさい。
筋肉付いてます。上半身裸です。背も高いです。更にはしゃぐ声もでかいです。
まさに子供の敵だよ敵。
かつてImayuが嫌がった人種に自分がなってしまっていたとは。
俺の居場所はいつの間にか波のプールと競泳プールになっていた。
な~んて、時代の流れを感じた。年取ったよ、俺も。ハッハッハ。

でもね、ちょっとうれしい事もあったよ。
坂から水が浅いプールに流れ込むところがあるんだけど、
そこの坂に寄りかかり昼寝をしようとしていた時(←迷惑)、
小さい男の子が俺に水をかけてきた(←カワイイ)。

そこで俺も、
小学校の時に通っていたスイミングスクールで身に付けた水鉄砲で応戦。
(3種類使い分けができます・笑)
そうしたら子供が喜ぶ喜ぶ。
屈託の無い笑顔で更に水をかけてくる。
ちょっと近くにいたお母さん(美人でした)の所に帰ったと思ったら、
またすぐ戻ってきて水をかけてくる。

そこで俺は手で犬を作って襲ってみる。
そしたらまた喜ぶ喜ぶ。もう止まらない。
あまりになついてきたので、最後はお母さんが連れて帰りました。
「バイバ~イ」って言ってくれました。うれしかったなぁ^^
心が洗われました。これだけでもプールに来た甲斐があったね。
こういう何気ないひとときを自然に感じられるってのは本当に幸せです。

そんな今日この頃。
就活⇔息抜き、そんな感じですね。

ニュースも欠かさず見てますけど、色々思うところもありますけど、
企業の面接で語りつくしてるのでわざわざブログに書く気になりません。


自分の取り巻く環境が変わればその内自然と記事内容に出てくるでしょう。
とりあえず次は☆今日の一冊☆でも書ければいいな、と。
本は読んでますよ。沢山。
最近は司馬遼太郎(またwww)の『竜馬がゆく』にハマってます。

それでは^^



あっ、読み直して気付いた。
プールは一人で行ってないよ?
同じく筋肉マンな高校の友達と行ってきました。
一人で流れるプールに行って昼寝して子供と戯れるなんて。
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Profile
HN:
Imayu
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1985/05/13
趣味:
ドラム・筋トレ・読書・旅行・絵描き・マグカップ収集 etc...
自己紹介:
英語偏差値30の高校時代を経て、カナダ東海岸、St.Thomas Universityに留学。政治科学と人権学を専攻。専門はアフリカ人権問題とドイツ政党政治。2009年4月付けで、某財閥系総合商社へ入社。

先進国に生を受けたからには世界を相手に何か出来る事が、すべき事があるんじゃないか。「『日本人として』、世界という舞台で闘い、途上国の人々の未来を創る」という夢に向かって邁進中。ビジネスを通した途上国貢献の道を模索中。

''Watch your thoughts; they become words.
Watch your words: they become actions.
Watch your actions: they become habits.
Watch your habits; they become character.

Watch your character; for it becomes your destiny.''

※メール→imayu_canada[at]yahoo.co.jp(ブログ用)
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