英語偏差値30からカナダ東海岸St.Thomas Universityに留学。卒業後2009年4月、某財閥系総合商社へ入社。
<東北ボランティア@仙台シリーズ>
Imayu/皆さんも機会があれば是非ボランティアへ行って下さい。きっと多くのことが得られるのでは、と思います。
その①:仙台にて初日に目にしたもの -what I saw on the first day-
http://imayujournal.blog.shinobi.jp/Entry/204/
その②:漁師風の男性の話 -a story of a man who looks like a fisherman-
http://imayujournal.blog.shinobi.jp/Entry/205/
その③:ボランティアを通しての所感 -what I felt and several points to discuss-
→今ココ
今回初めて東北へボランティアへ行って、目にしたもの、聞いたこと、やったことを通しての所感を幾つか纏めてみた。


■復興への意志、現地の人の強さ
シリーズ①②を通して、私はとにかく自分の目にしたこと、感じたことを書いてきたが、現地の被害や悲惨さばかりを伝えるものになってしまったのでは、と思う。
これまで書いてきたことは強調でも何でも無く、現実だ。ただ同時に自分が感じたのは、現地の人達はこの現実に向き合い、復興へ向けての強い意志と覚悟を持っている、という事。
海辺で目にしたものや、漁師風の男性の話を聞いて絶望的な気持ちになりながら、その次の日、若林区でボランティアをした際に、家主さんが言った言葉。
「5ヶ年計画で直して行くつもりです。旦那も新しい家を建てなきゃと言って張り切って仕事にいっています。」
この方の家も一階が完全に浸水し、漂流物がぶつかって壁に穴があき、家の裏は流れが止まり悪臭を放つ川があり、その川にはペシャンコの車が転がっていて、震災後手付かずで雑草が腰の高さまで伸びて来て殆ど歩けない。こんな状況下であの様な言葉が出て来る強さに、私は言葉が見付からなかったし、思えばあの漁師風の男性も、これからまた仙台をどうにかして行かなければ、と言っていた。
現地の人は現実へ向き合い、復興への強い意志を持っている。そんな中ボランティアで被害の一部を見ただけで絶望的な気持ちになってしまった自分が恥ずかしかったし、彼らの強さに負けない様、自分も頑張らなければならないと強く思った。
■出来ることは沢山ある/ボランティアセンターの問題点
今回自分達は、側溝の泥出しをボランティアとして行ったが、以前これはボランティアに任される仕事では無かったという話を聞いた。なんでも、ボランティアセンターは管轄が政府系(県庁等)とNGO/NPO系に別れ夫々の運営方針を採っていて、政府系センターは「復興作業は、雇用創出の為基本的には企業に任せるべきである」というスタンスで、ボランティアに任せられる仕事は限られていたとのこと。
その為、政府系センターではボランティアに与えられる仕事が少なく、所謂「ガチのボランティア」を期待してやって来たボランティア達は皆NPO/NGO系センターに流れるか、悶々と与えられた軽作業を行わざるを得なかった。
今でこそ、人手が足りず側溝の泥出しや畑の中の硝子破片撤去等、以前は容認されていなかった作業がボランティアにも与えられる様になったが、自分の目にした限りでは、道路こそ使える様になれどそこら中に瓦礫や車は転がっているし、雑草が生えっぱなしの土地は沢山あるし、出来る作業はまだまだいくらでもある様に思えた。
この様な運営方法ではボランティアもやる気を削がれてしまうし、そもそも「雇用創出」と言っても誰が側溝の泥出しにお金を払うのだろう。ボランティアが出来る様な作業に国の復興予算をわざわざ割り当てるべきかは疑問だし、ボランティアがいる限りは出来るだけの作業は彼らにやってもらうのが効率的だと思う。(むしろ、彼らはよりしんどい仕事を望んでいるのでは?)
ボランティアマネジメントというか、モチベーションと効率性の観点から、ボランティアセンターの運営方法については疑問が残った。
■事前情報収集の大切さ/わかりづらさ
東北にボランティアに行くに当たって事前の情報収集が大切だが、ある程度時間を掛けてじっくり行う必要がある様に思う。
自分のお世話になった仙台市津波被害ボランティアセンターは8月10日に閉鎖され、別の場所にある仙台市災害ボランティアセンターと統合され、ボランティアは事前登録制となっている。以前は当日飛び入りで登録が可能だったが、現在は事前連絡が必要であり、またそこから別の場所へのサテライトバスも運営ストップとなっている。
http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer16/9liAJCznL5IKxyEwT3ea
これは仙台の例ですが、他の場所でもボランティアセンターの統廃合や管轄組織/運営方針変更等が行われており(これまた分かりづらい)、当日センターに言っても「あれ。ボランティア募集してないの?」という事態も起こり得る。又持参した道具が足りず現地で作業が出来ず迷惑を掛ける可能性もある。折角行くのだから、事前調査を十分にし、必要な物は何か、いつ、どこで、何をすれば良いのか、訪れるボランティアセンターの状況等を明確にしてから行く必要がある。
■一般企業の行うCSR活動の意義
ボランティアセンターでは、人員が平日に不足したり週末には余ったり、又季節的要因での人員の増減を予測出来ず、効率的なボランティア作業の割当が出来ていない問題がある。
今回自分は、所属する会社の所謂CSR施策の一環として現地に行ったわけですが、年間1,000人以上の派遣を目標に、現地に平日/週末絶え間無くボランティアを一定人数送り続けている。又、本施策を本社のCSR担当者が一貫して統括することで、事前準備や作業の引継ぎ等をスムーズに行え、現地スタッフの手を煩わせることが少なく、現場では重宝されている様子。
企業CSRについては、そのインパクトについて今迄懐疑的な自分だったが、今回の活動を通して「企業CSR活動も捨てたものじゃない。上手くやれば大きな効果をもたらす」のかも知れないと感じた。
(因みに商社の場合、取り扱う商品が多く、こういった点からも貢献出来ると思う。実際自分が担当する関連商品も多く見かけた。)
■自分達に出来ること
毎日ボランティアがセンターを訪れ、日々復興に向けた作業が進捗しているのは心強い一方、その道のりは途方も無い。そんな中で自分が出来ることは、自身がボランティアに参加して少しでも現地に貢献すること、この現状をより多くの人に伝えて巻き込んで行くこと、そして、自分自身が出来ることを一生懸命やること、なのだと思った。
自分の場合、現地の人がこんなに力強く頑張っているのに、こんな恵まれた環境でのんびりしている場合じゃない。もっともっと努力し、力を付け、少しでも経済を回して行く。現地に少しでも貢献出来ればと行ったボランティアだったが、逆に自分が発破をかけられてしまった。
以上が自分のボランティアを通しての所感。本当に多くの事を感じ、学んだ。
また時期を見て参加したいと思うし、自分の毎日をもっと大切に、一生懸命生きようと決意を新たにした。
会社を辞めることを思い止まって以来、あれこれ考えず「気持ちで仕事をすること」を心掛けてきたが、やはり考えることも大切で、今自分に必要なことを一つ一つ、着実に身に付け、目標に近付いて行こうと思う。
Imayu/皆さんも機会があれば是非ボランティアへ行って下さい。きっと多くのことが得られるのでは、と思います。
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3泊4日で仙台に震災ボランティアにやって来た初日、住宅地の泥掃除をしながら、どこか津波に対する現実感が無いままその日の作業を終え、沿岸部にやってきた。住宅地は流されコンクリートの基礎を残した平野に変わり、堤防を挟んだ向こう側には穏やかな太平洋が広がっている。不自然にねじ曲げられた松の木や深く抉られた砂、静かな海と何も無い平野を目にする中、次第に津波の恐ろしさや起こった事の悲惨さを痛感し始める。その時海辺で、ひとりの漁師風の男性に出会った。
「すみません。大勢で騒がしくしてしまって。」
私達ボランティア団のリーダーから一言。男性は、その風貌から、すぐに現地の人だと分かった。
「津波は三回来たんだ。」
それ以上こちらから話し掛けるでもなく、その漁師風の男性は滔々と話し始めた。
地震が起こった直後、海には大勢の人がつめかけていた。津波が来るか来ないか見に来たのだと言う。2010年にチリ地震が起きた際に、津波警報があり住民が避難した経験があるが、実際は津波は来なかった。その経緯もあって、今回の地震でも大きな津波は来ないだろう、と思い人々は集まったのだと。津波警報の発令も遅れた。
一回目の津波は50センチメートル。大きな波が立ったと分かる程度のもの。なんだ、今回も津波は来なそうだ。そこにいた人はそう思ったのだろう。そこから三回目の津波が到達する迄30分も掛からなかった。三回目の津波は、10メートルを超えた。
海際にいた人を含め、多くの人がこの津波の犠牲になった。漁師風の男性は学校の4階に避難していたが、3階迄は浸水しそれより下に避難していた人は犠牲になった。津波が完全に引く迄5、6時間はあったという。その間電柱や木にずっとしがみついていた人もいた。
波が引いた後、男性は連絡が取れない息子の捜索を始めた。海岸や町中あちこちに人が倒れており、暗い中懐中電灯を片手にひとりひとり顔を持ち上げて息子かどうかを確認した。見付からなかった。その後、息子の遺体は安置所で見付かった。
仙台港では一部漁業が再開したが、食べる気がしない。津波で流された人の肉を食べて魚が大きくなっていると思うと、食べる気がしない。
漁師風の男性は無表情に、滔々と、津波が襲って来た日に何があったかを語ってくれた。一切表情を変えずに、ただ淡々と。自分達には想像も出来ない状況を経験して、男性としてはただ淡々と話す以外に表現方法が無かったのだと思う。